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【ぶらり散歩2010】・・・2010年に書いたものです。

ごゆっくりどうぞ・・・※日記は新しい順になっています

琵琶湖の畔に長く住んでいながら、琵琶湖に付いて何も分かっていない事にきずき琵琶湖をぐるりと、巡りたいとおもっている。

文化サロンに歩く事の好きな(街道歩き 同好会)があり、歴史の勉強をしながら主に街道筋の人々の暮らしの後が今に残っている所を見、遠く先人達の足跡をたどる、素敵な講師の話しを聞きながらの歩きは、楽しいひと時である。今回は東海道から別れて西国街道を歩く、その報告をしたいと、思います。


魔女のぶらり散歩

  ホテルバスでー山門水源の森へ

ホテルのオリジナルバスツワ―で高速道路で琵琶湖を東回りで行く予定が高速道路の事故で西回りで、水源の森に向かう。良い天気で気持ちの良い山行になりそうです。

山門水源の森はかって滋賀県北部の西浅井町山門、中、庄、の3集落の共有林で、炭や薪をつくるために利用されてきた里山で、この里山の森に囲まれて起源が約三万年前という、山門湿原がある。

琵琶湖の最北端の福井県境に近い野坂山地にある高層湿原で、かってゴルフ場予定地として開発の危機にさらされるが、その後バブルの崩壊により計画はなくなり、平成8年滋賀県が買収し公有化し保安林として認定し、広く県民が訪れやすいように、ハイキングコースが設置され、山門湿原のまわりに木柵や展望台が造られ、また この水源の森一帯は平成7年には林野庁の『日本水源の森100選』に選ばれている。ボランティアの方の説明を聞きながらの山行です。

ボランティアの方は女性で、定年を迎えて、奈良から、山門湿原に魅せられて、移住して来られたという。湿原は『低層湿原』 『中間湿原』 『高層湿原』の3つに区別され、この森ではすべての湿原を見ることができる。

ブナ・アカガシ・アカマツ・コナラ・スギ・ヒノキ・ミツガシワ・サギソウ・エゾリンドウ・ヒツジグサと説明してくださる。山中にネットが筒状になって並んでいる。??ここはささゆりの群生地だが、つぼみの頃になると鹿が食べてしまう。食べられないための人間の知恵らしい。アップ・ダウンあり、炭焼きかまの跡などあり、北部湿原・中央湿原・南部湿原を眺め引き返す。これで3時間のコースで全体の四分の一だ。四季にわけて訪れたい。琵琶湖の水を守るために、森を育て、守っているボランティアの方々に感謝・感謝。



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  −バスー膳所城跡公園ー安土城址ー八幡堀ー



幻の城に思いを馳せながら、その城址に咲く桜を見るために、ツァーに参加。

今年は桜の開花が早く、これも地球温暖化のせいだろうか?ここ膳所城址公園は徳川家康が関ヶ原の合戦の翌年、(1601年)に大津城をこの地に移して築いた膳所城の本丸跡で、現在は公園として整備され、市民の憩いの場になっている。

特に春は桜が咲き誇り多くの花見客やいろいろなイベントがもようされる。膳所城は、湖水を利用した堀を周囲に巡らした美しい水城で水面に映える石垣や白壁、四層の天守閣は絶景だったと伝えられている。

残念ながら明治維新で廃城となり楼閣は壊され、城門は膳所神社に移築された。門の前に大木のソメイヨシノが満開で、ほんとに美しい、なにに例えればいいのだろ?

写生する人・ベンチで静かに語らう人たち・あちらこちらにブルーシートがひかれている、今夜の花見の場所取りのためだろう。ほんとうに美しい公園だ。

安土城跡は先日来たところで、その時たくさんの桜があったので、100本のソメイヨシノ・・・是非花を見たいと思い来たのだが・・残念・花は三分咲きで少し早すぎたようだ。満開の花に出会うのは難しい。今度こそ満開の花に会いに来たい。



八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡城居城のもと、城下町が栄える原因となった一大動脈で、近江商人の発祥・発展、また町 の繁栄に大きな役割を果たした。堀沿いにさくらが咲き・花の下を屋形船が・白壁の土蔵に映える様はなんともロマンチックです。
今年は花のつぼみのころに、急激に寒くなり、と、温かくなり、と、何度かくりかえし・・おかげで花の時期が長く、あちらこちらの花たちに出会えました。

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       西近江七福神めぐり

  ーバスー白鬚神社ー玉泉寺ー正博寺ー大崎寺ー唐崎神社ー西江寺ー阿志都弥(あしづみじんじゃ)

ホテルのオリジナルバスツァーで出かける。曇り空だが、歩きが多いので、ちょうどいいお天気です。西近江七福神は昭和57年に高島市内にある七ヶ所の社寺が集まって結成された。国道161を車をはしらせていると、湖の中に朱塗りの大鳥居が浮かんでいる。ここが白鬚神社。

白鬚神社・・近江の厳島とも呼ばれている。寿老神・≪寿老人≫が祀られている。その名のとうり長寿の神様で、副財や子宝、諸病平癒にも功徳があります。

祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で創建1900年の近江最古といわれる歴史を誇り、現在の社殿は豊臣秀吉の遺名によって、その子秀頼が造営したもので、本殿は、桃山時代特有の建築で、昭和13年には国の重要文化財に指定されている。



境内には、紫式部や与謝野鉄幹・晶子夫婦が神社を訪れたとき詠んだ歌碑がある。



玉泉寺・・【布袋尊】
一説によれば、七福神の中で唯一実存したといわれるのが布袋尊であり、中国・唐の時代の禅僧がモデルとされているとのこと。ご神体は本堂内に祀られており、袋を担いだ福々しい布袋さまです。古来より、玉泉寺は天台の古刹で、裏山一帯は近江の西方浄土ともいわれ、境内には、室町時代後期の作品であるその高さ、1,5メートルと大きな石仏が並んでいる。



正傳寺・・【大黒天】
大黒天は俵の上に立ち、打出の小槌を持った満面の笑みを浮かべている神様で財福の神、もともとはインドに起源をもつ戦いの神様ですが、日本では、商売繁盛の神様としてしられている。正傳寺の本堂の瓦は三州瓦で、境内には享和元年(1801年)製の鬼瓦が設置され、薬師寺堂内には県指定文化財の薬師如来坐像、本堂内には県指定文化財不動明王や毘沙門天立像が祀られている。



大崎寺【毘沙門天】
大崎寺はびわこの上に位置し桜の名所海津大崎にあり、雄大な奥琵琶湖を望む景勝の地にある。その情景は琵琶湖八景のひとつに数えられている。本堂には中央に本尊・十一面千手観世音菩薩、その右に毘沙門天、左に不動明王が祀られ、毘沙門天は仏教の守り神であり戦いの神様で一般的には勝負の神で、魔よけ・厄除け・禍よけ・で幸せを授けてくれる福の神として信仰されている。又本堂右手にある阿弥陀堂は、安土城落城の際に血が付着した城材をそのまま利用したという[安土の血天井]があり、梅雨時には血の跡が浮き出るという。



唐崎神社【恵比寿神】
びわこ湖畔にあり境内は緑が多く、よく手入れされ、癒される空間である。社伝によると、天智天皇の頃にはすでに鎮座していたという古社である。主神の恵比寿神は大漁をもたらす福神が転じて、招福・開運・商売繁盛の神様として信仰されている。ここの恵比寿さまは、両手で大鯛を抱えておられるのが特徴である。また恵比寿神は唯一日本神話から生まれた神様という。帰りに案内をして下さった奥様から珍しい樹の実をいただく、≪むくろじ≫という。子供のころ、よくした羽根つきの羽根の根元についている黒い丸い玉、これがそうだという。頂いて帰る。



西江寺【弁財天】
西江寺は平安時代中期、藤原頼通によって建立されたもので七福神の中で唯一の女神であり、弁財天は水を神格化したもので、言語・音楽など学芸や、金運にご利益があるという。ご神体は裏庭の池の浮島に建つお堂の中に女性らしい、優しい表情の弁財天が十五童子と共に祀られている。またここにも樹齢400年という紅梅があり、釈迦の時代には樹の葉っぱのうらにお経を書いたという樹木がある。
阿志都弥神社・行過天満宮(ゆきすぎてんまんぐう)



【福禄寿】
福禄寿は福徳・禄徳・寿徳を備えた霊験あらたかな神様で、学芸成就・招福・除災・家内安全・商売繁盛などの神徳があります。境内には御神木の樹齢約一千年と推定される椎の古木(滋賀県自然記念物指定)や山桜・紅梅・白梅と静寂な癒し空間である。御蔡神木花咲耶姫命と菅原道真公にちなみ、昔から桜花大明神・弘川の天神様とも称され人々に親しまれている。

琵琶湖の西にある高島は本当に自然豊かで、人々は花を咲かせ、沢山の神々を大切にして、日々を大切に暮らしている。そんななか、バスで慌ただしく、多くの願いをして回る自分に、なんと欲張りな・・と恥ずかしく,もっとゆっくり一社づつ、心込めてお参りしたいと、思う。


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  JR−今津駅ーザゼン草群生地ーバスー新旭水鳥観察センター

毎年2月・3月になると、何故かザゼンソウに会いたくなる。今年は雪が少ないので、どんな花を咲かせているのだろう?ここ今津町広川は群生地として知られている。

モウソウ竹に囲まれた約5000平方メートルの湿地に2000〜3000株が自生している。今年は雪がすくなく 、雪の中にひっそりとたたずむザゼンソウが好きだが・・それでも大小さまざまの赤紫の花が一面に顔をだしている。

サトイモ科の多年草だという。この珍しい座禅草群生地は、昭和56年中学生が理科の観察時にみつけ、国内自生地の南限だとされ、国の特定植物群落に選定され、また滋賀県の緑地環境保全地域に指定され、保護されている。  

座禅草はお堂のなかでお坊さんが座禅を組んでいるように見えることから、その名がつけられた。アメリカではスカンクキャベツとよばれている。これは座禅草の花が異臭を放つことからきている。また花を咲かせる際、肉穂花序(にくすいかじょ)という部分が発熱し、その温度は30度近くになるという。

夜間、外気温がマイナスにまで下がっても座禅草の肉穂花序はほぼ25度に保たれている。一面真白な雪のなか座禅草の周りの雪が解けていることがある。座禅草の持つ高い発熱能力を示している。

座禅草はその温度と匂いで虫を誘い、受粉率を高めるという素晴らしい能力をもっている。また来年会いましょうと別れる。

新旭水鳥観察センターは穏やかな入江にあり、大きな窓から望遠鏡で、自然のままに暮らす鳥たちを観察できる。どんな鳥が見られるか?と早速、望遠鏡をのぞく。

鳥をとらえるのは難しい。館員の方の説明では一番多いのはオオバシというカモのような鳥で数千羽いるという。カモの仲間は、ホシハジロ・キンクロハジロ・ヒドリガモ・ヨシガモ・マガモなど10種類やってくるという。見分けはなかなか難しい。ちょっとした鳥たちの仕草を眺めていると時の立つのを忘れてしまう。隣接のカフェで無農薬コーヒーをのみながら、移り行く風景に・・至福の時でした。又来たい所です。  



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ーバスー佐川美術館ー安土城址ー安土城考古学博物館ー

よい天気で、道も混んでいなくて、上々のドライブ日和です。左手を琵琶湖、又遠く比叡山や函館山が美しい。

佐川美術館は[佐川急便株式会社創業40周年記念事業]の一環として、琵琶湖と比延山を望む美しい自然環境に恵まれた守山の地に1998年3月に開館。びわこをイメージしてか?珍しい水庭に浮かんでいるように見える。


館内は日本を代表する日本画家の平山邦夫と彫刻家の佐籐忠良、両巨匠の作品を中心に展示されている。また、50周年記念事業として陶芸家・十五代楽吉佐衛門の作品を展示する[楽吉佐衛門館]が2007年に新設され、日本画・彫刻・工芸と3つの柱を携えた美術館となっている。

館内は平日なので人も少なく、『平和の祈り』となずけられた日本画の展示室では、仏教伝来をテーマに『シルクロードシリーズ』がやわらかな光のなかで輝いている。なんとも心がゆさぶられる。



『ブロンズの詩』となずけられた彫刻館は人間の美をテーマに子供や女性のさまざまな姿でこころを和ませてくれる。

時間がないと心急くが大急ぎで楽吉佐衛門館に行く。水庭に埋設された地下展示室と水庭に浮かぶように建設された茶室の二つで構成されている。

『守破離』をコンセプトに作ったとある。ここは一日かけてゆっくり来たいと思う。本当に時間がなく、急いでバスに戻る。

びわこを眺めながらバスは安土城址に着く。ここではボランティーヤのガイドさんがついて、くれる。昨年、安土城築城のドラマで話題となった映画『火天の城』の撮影時の彼は、裏方として、エキストラ―と活躍したことを生まれ育った、ふるさと、安土を誇り高く、ガイドしてくれる。



安土城は天下統一の拠点として、1576年から3年をかけて完成した。絢爛豪華な城は織田信長の死後すぐに焼失する。城の南側には堀が残っていて往時の名残を残している。また特別史跡に指定されており、発掘調査が進められている。天主跡まで中央を貫く405段の階段を天主跡をめざして登る。

階段の両脇には、家臣の屋敷跡がある、豊臣秀吉・森 蘭丸・等々と続き・・天守閣跡に・・約780メートルの台地に建物の礎石が幾つも並んでいる。ここは地下の部分にあたり、高さ46メートルもある天主を持つ5層7階の城があったという。





目をとじ、思い描いても、あの幻の天主閣は、うまく浮かばない・・遠く伊吹山が白く雪を被っている。たぶんこの風景は、変わっていないだろう。

信長がこの山に向かって、あの(敦盛)を舞っていたのだろうか?そんな思いを描きながら、下山。

安土城考古博物館へ・・城郭と考古をテーマにして幅広く展示されている。またこの建物が素晴らしい。中世ヨーロッパの教会建築を思わせる外観は、西洋文化に強い興味を抱いていた信長の気持ちを表現したという。





ロビーから見上げた望楼は4フロアー分の吹き抜けがあったという安土城の天主をイメージしたという。もし、信長が生きて天下統一をはたしていたら?今の東京はなく、この安土・滋賀が首都になっていたかもしれないと夢想しながら、外にでれば、なんと素晴らしい夕焼け、みずうみに影をおとした落日に送られながら帰路へ・・・楽しい一日でした。











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